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ファンタジー・耶馬台の女王の都       1971年12月1日発行

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                         結   び

 一四歳の少年がドオデェの「サフォ」(武林無想庵訳)を楽しんで読んでいたとすれば、すこし早熟だ、と云われたとしても仕方ないだろう。わたしはそんな子供だった。

 古着商人だった父は、自分の子も商人にするつもりで、そのために読書まで禁じたのだが、かえってそれが反抗心をそそって子は手に入るものは、何でも読んだ。

内容や、それに対する理解などは問題でなかった。

 幸い持合せた読書力に任せて、手当り次第、眼を曝した。浅草小学校の読書室(当時はそれが区内唯一の図書館だった)にも通い、「猫」を一回で、つまり半日で読み上げたことがある。
 

 そのころは国内での自然主義文学勃興の時代だった。

 田山花袋や徳田秋声、岩野泡鳴などが、はやっていた。わたしはそういう「庶民の生活」が嫌いだった。「貴族主義」だったらしい。目刺しよりビフテキだった。

外国文学と云っても、もちろん翻訳を通してだがゲーテとトルストイとストリンドベリをあらまし読んだ、と云えば、どの程度の読書家だったか、わかると思う。

 父が呉服屋だったから商業−−商人を嫌い、和服を嫌った。母か義太夫を語ったから(驚くべき悪声であった)歌舞伎芝居が大嫌いになった

浅草に育ったので町家が嫌になり、町内の娘が銀杏返しに結うのでお下げ髪の女の子でなければ恋愛なんかしないぞ、と心に誓った。

 映画は洋画館でなければ入らなかった。特に尾上松之助なる大眼玉には生理的悪感を覚えた。

 そのころ出版された翻訳小説の半分ぐらいは読んだと思う。
 万葉集と古事記との出会いも、その頃であった。たちまち病みつきになった。

 西洋カブレが皇国古典に惚れたのは、どちらも、当時わたしが沈んでいた環境と、まったく異質のものであったからである。

要するに、文学を通じて見た古代日本は、わたしにとって、現代の外国以上の異国だった。そして今のわたしにも、この感想はかわらない。



 魏志倭人伝に現われる倭国は記紀に見るオオヤマトとも、また異なる世界である。記紀編集者でさえ、それを資料として扱いかねたほど異なる風土である。だからわたしは、当然、それにも惹かれた。
 古代を異国であるとすれば、それは絶対に至るべからざるところであるゆえに、現実の世界の諸外国以上に異郷である。しかも、われわれの血はそこから流れ来り、われわれの文学はそこから歩み初めている。無限の興味が持たれるのはあたりまえだ。

 この土地に、偶然住みついてから、もう七年になる。ここは古いものの多い土地であった。ことに過去三年、わたしたちは現住所にいる。ほとんど隣家にひとしい薦八幡社は記紀より古い歴史を秘めていた。

 疑問は果てなく湧いた。それは、わたしが入手できる書物は解答の無いものが多かった。この夏、どんな心のゆらぎからであったろう、わたしはこのノオトにペンをつけはじめた。そしてニケ月たった今、この結びの言葉を書いている。

 この間に原稿用紙にして四百字詰二〇〇枚書いた。実をいうと、四〇年前に結婚してから、わたしは文学活動の衝動を感じたことは、ほとんど無い。

それが、この仕事をしたのだから、まず第一におどろいたのはわたし自身である。

 ノオトの内容の価値はノオト自身が保証するだろうから、わたしは何とも云わない。批判は読者の権利である。
 ある歴史的瞬間を生きたというのは意義のあることであろう。たとえば九月一日の東京市民、八月六日の広島市民、十二月八日と八月十五日の日本国民、などである。

 しかし、歴史的地点に住居するということは、それ以上の重味を持つ。まして、その地点が邪馬台であり、卑弥呼の地であったとは。意外であった。
 宮崎康平の「幻の邪馬台」の例のように、九州人であれば、誰でも自分のゆかりの土地(極端に云えば故郷)が邪馬台ではあるまいか、と考えつくのである。

また倭人伝の記述が、読者をそういう心理に引きこむ魔力を持っているのである。

 わたしは、このノオトで、邪馬台は大貞である、ヒミコの宮居は、今、わたしの踏む、この土の上にあった、と主張した。わたしはもう、死ぬまでこの主張を変えることはあるまい。

 しかし、かかる主張は好事者の狂信として排斥される。学問に関心ある人は、わたしのノオトを歯牙にもかけまい。わたしはドンキホオテだ。わたしは、敢えて王様のライオンの鼻さきを蹴飛ばすのである。

 もし、SFだと云うなら、このノオトは全部がSFであろう。もし、推論だと云うなら、附録のSFを含めて、全体が推論である。
とにかく、この二ケ月間、わたしはこのノオトを楽しんだ。ことにヒミコの都を訪問する若い女性とその恋人を創作することができたので、わたしはひさびさに文学の喜びを味わった。

 ときどき、わたしはアサミの、その後の運命を空想して楽しんでいる。もしかすると彼女は、あの露の夜道で、ふと呟いた言葉のとおり、古代日本のどこかの女王になったのではないか、という気がしている。
      

      
       昭和四五年九月三〇日


邪馬台の女王の都
       定 価 三〇〇円
昭和四十六年十ニ月一日  初版発行
著 者 横堀福次郎
    大分県中津市大貞一八四番地
発行者 澤 田 誠一
発行所 北方文芸社
   北海道札幌市北四条西七丁目
    北澱連ビル 電話札幌
    (二二一)八一六一内線一一
印刷・製本 札幌三光印刷株式会社
           (検印省略)



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