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ファンタジー・耶馬台の女王の都       1971年12月1日発行

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 静かな宵の住宅地をわたしはアサミと肩を並べて歩いていた。古代史のゼミが遅くなった崩れが、いつもの喫茶店で仲間とさんざんダべヅたあと、少し離れた私鉄の駅まで、彼女の帰宅を送ってゆく途中だった。彼女もわたしもZ大の歴史科の学生なのである。
 
 秋の学期の初めなので、冷い夜露が薄いシャツを透して来る季感があった。アサミ。日比野朝美子というのだが、本人が嫌って、ただアサとか、わざわざ「あたしアザミよ。近寄り過ぎると刺すわ。」と云ったりする。そんな彼女をわたしは愛していたが、美女で才女で外向性で、趣味が乗馬、その上、郷里が資産家とあっては、とても、愛を打明ける勇気が出なかった。

 その晩は、昼のゼミから引き続いて古代日本の国家形成が話題になっていた。長い会話
に疲れて、二人とも黙りこんで歩いていたが、ふとアサミがポッツリと「女王になってみたかったわ。」と云った。すると、わたしたちの直ぐ後で誰かが声を掛けた。

「ほんとにお望みなら。お嬢さん。」わたしが止める間もなく、アサミが答えた。「ええ。はんとよ。」

 話を長くしないためにハショると、それから一時間後、わたしたちは研究所というのか、工場というのか、とにかく迷楼のように積み上げた機械に囲まれていた。
「何の道具ですか。」わたしはたずねた。男は何かのダイヤルをいじりながら「航時機です。タイムマシンという奴です。ここの調節が終われは、すぐ出発できます。」
「どこへ?」
「どこへででも、です。お嬢さんのお望みはヒミコの時代でしょ。」
 
 わたしが驚いたのは、アサミがわたしほど驚いていないことであった。彼女は新しい漁船を見ている海女のように落ちついていた。わたしは止めたかったのだが、口に出せなかった。
彼女が燃えるような興味を示しはじめたからだ。

 「ええ。紀元二四〇年ごろ…‥場所は……九州の‥…どこかだわ……でも、あたし帰って来られるのかしら。」
「必ず帰れます。今のところ、この機械の性能は八〇時間しかエネルギーを働らかせられないのです。だから三日と八時間たてば、あなたは現代に戻ります。」

 「ここに?」わたしはせきこんでたずねた。「それが、まだ駄目なんです。八〇時間後に、あなたの居合せた場所で戻ります。」
「もし危険なところにいたら、たとえばその時刻に飛行機に乗っていたとすれば?」とわたしは口を挟んだ。
「墜落します、あなただけ。だから、その時刻に近づいたら注意して塔や橋の上に居ないで下さい。」

 「ちょうど四日目の朝ね。日の出のすぐ前だわ。気をつけるからいいわ。すぐ行きましょう。このままで良いの?」
 「こっちへ来て下さい。」男は隣の室へ案内した。そこはガランとし広い部屋で、床の中央に直径一メートルほどの台の上に金属の円板が光っていた。その上に人が立つと頭が少
し隠れるかと思われる高さにランプシェードの大きいような物が吊されていた。
 「あなたがその台に乗る。このスイッチが入る、とエネルギーが光になって、あなたを包みます。決して熱くはありません。ただ、眼はつぶっていた方がよろしい。光が消えたと思ったら眼を開けて下さい。あなたはあちらに居ます。」

「あちら?」

「ええ、ご指定の時代の、この場所です。」男は大きな地球儀の上の一点に細い針を挿しながら答えた。その場所は、どうやら九州の真中あたりだった。
「もっと精密にならないの。」
「ええ、残念ですが、まだ、この程度です。」
「ねえ、服装、このままで良いかしら。」
「そうですね。時計やネックレスは外して下さい。」彼女は、それらをハンドバッグへしまいこんだ。「それに、そのミニスカートでは古代人がまぶしがるでしょう。こっちの部屋で何か探して来て下さい。」
 隣室へ行ったアサミが、「あら、すごいコレクションね。」と云う声がした。間もなく出て来た姿を見ると白いパンタロンの上に、ルパシカ風のブラウスを引っかけていた。興奮に頬を染めたアサミにはよく似合った。「ハンドバッグだけは持って行くわ。」と白い革の袋を振って見せた。「そうだわ。レポートしなきゃ。ノオト、ノオト。」とわたしの方へ手を伸ばした。わたしは自分の手帖を渡した。「余白あるの? ああ、買い立てね。」

 変圧器が唸りはじめた。上の傘と円板の間に淡く、だんだん濃く、光が立ちこめて、遂に輝く円筒になった。
「あの中に入って立って下さい。帰る時もこの光が現われます。三分ほどで消えます。」
「その時、入らなかったら?」
「それは、あちらに残ります。もし、あなたの手だけが外に出ていたら、手無しになりますから気をつけて下さい。」
「あたしの居場所がわかるかしら。」
「それは大丈夫です。いつもこちらから、あなたの固有波を追跡しますから。光はあなたのそばに現われます。」
「言葉は?」
「そう、忘れてました。脳話装置を取りつけましょう。」彼は金色の輪形のイヤリングを彼女の耳朶につけた。
「どんな具合ですか。これからわたしが送る言葉がわかりますか。」彼は、わたしにはわからない外国語で何か云った。すると驚いたことに彼女が同じ言葉で答えた。「調子いいですね。」
「何語ですか? 今のは。」好奇心に耐えかねてわたしはたずねた。「バスク語ですよ。」
 彼女はわたしに、ちょつと手を振って光の円筒に歩いて行った。(もしかすると、彼女は永久に帰って来ない。)わたしは止めようと身体を動かした。そのとき彼女はするりと光の中に入ってしまった。いつもバスに乗る時に見せた動作と同じだった。
 光は、新しい燃料を加えたように一段と輝きを増し、やがてだんだんと淡く暗くなった。そしてついにカラッポの円い台が残った。
わたしは彼女を失った、と知って気が遠くなった。



 気がつくと、わたしは朝の駅のベンチに寝ていた。わたしはゆうべのことを夢だ、と思いながら、まず彼女の家に電話して、ゆうべ帰らなかったことを確かめた。それから昨夜の路へ取って返して、怪しいことのあった建物を探して歩いたが、どうしてもわからなかった。

 やがて、わたしは気づいた。わたしはあの男の催眠術の影響下にあるのだ。あの建物を発見できない、という暗示を受けていたのでは、よしんばその建物のまん前に立ったとしても、それをそれと気づくことは無いだろう。

 わたしは絶望した。しかし、不思議なことに仲間の級友の誰も彼女のことを気にしなかった。彼女はときどきフラリと帰省したりすることがあったから、誰もが、そんなことかと思っているらしい。わたしも、自分を卑怯者と軽蔑しながら、沈黙して彼女の帰還を待つより仕方なかった。

 三日が過ぎ、いよいよ四日目の朝が来た。彼女がどこに現われようと、電報か電話か、何かの連絡が入るはずであった。わたしは終日、家に籠って何かを待った。その四日目も五日目も無為に経過した。六日目も反応なく夕暮が迫っていた。

 名が呼ばれた。「郵便ですよ。」


 わたしは心躍りして固いハトロン封筒の封を切った。中からこぼれたのは手帖、わたしの手帖、アサミが「古代」へ出発する時、渡してやった、あの手帖だけが入っていた。それにはアサミの筆蹟でピッシリと、ところどころは、さすがに乱れながら、彼女の驚くべ
き経験のレポートが書きこまれていた。


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